最近はLGBTの例のように、社会的に少数派の人たちの権利やら、
存在意義やらを認めようという流れが世界的な潮流となっているが、
それに反対する勢力も存在し、失言やら暴言も度々問題となっている。
理由は簡単、自分たちが築き上げてきた常識的なコミュニティ、自分の想像が及ぶ範囲、
学歴という絶対不変の影響力を行使できる社会が『異物』に侵食され、
イキりマウントが取りずらい構造に作り替えられるのが不都合だからだ。
自分はLGBTではないが、考え方や生き方は彼らと同じ『少数派』という自認はある。
彼らと決定的に違うのは、彼らは社会的に権利や存在を認めてほしい願望があるようだが、
俺様には全くなく、むしろ構ってほしくない、放っておいてくれという立場だ。
別に有象無象共に理解されたくもないし、できないだろうし、こいつらに時間も使いたくない。
自分が『少数派』という自認があっても、知らず知らずのうちに『多数派』の影響を受けてきた。
『皆は普通、こう考える』とか、『こういう行動をするのが普通』みたいなのに洗脳され、
20代、30代はそれを基準に考えたり行動したりして、自然と『普通』になろうとしていた。
でも結局『普通』って、普通な人たちにとっての最適解で効率的な言動であり、
能力や考え方が突出している人たちにとっては最適解ではなく、単なる縛りにしかなっていない。
そこに気づくまでに40年近くかかったが、俺様は異端の中でも凡人であり、
歴史に名を残すような天才は、その真理に自然に生まれながらに実践できていたんだろうな。
異端な人たちは、自分に欠陥があるのではないかと考えて『普通』になるように努力する。
若い頃は『異端』で良くても、老いて不自由になると不都合になるのではと考えて、
若い頃から必死に『普通』になるように矯正する人が多そうだが、その生き方も間違いではない。
ただ俺様はその決断をせず、残り40年も迷わず『異端』で生きる決断ができた。
人生一度なんだからと、慎重に考えて行動して生きる『普通』な人が多いが、
人生一度だからこそ、やりたい事やって生きないと生まれた価値もないだろというのが俺様の考え。
『普通』って結局『効率』なんだよな。
普通の人間は弱いし我慢できないし能力もないから、
誰にでもできて簡単な言動を基準にした価値観が形成され、それを元に生きていく。
でも俺様は、普通の人間にはできないことをやれるし、忍耐強いし、
面倒で難しい事にも挑戦する意欲がある。
こういう人間が『普通』の価値観に違和感を覚えるのは当然だし、自分が異常なのではなく、
わざわざ凡人たちの基準に合わせる必要はないのだよと決断するのが、なかなか難しかったりする。
まあ『普通』は楽だし、エスカレーター式で人生が進行できるのは確かだ。
わざわざリスクを冒さず、率先して『普通』に染まろうとする勢力の心情は理解できなくもない。
LGBTな人達も、こいつら相手に自分達も『普通』に入れろと認めさせるのは骨が折れると思うが、
俺様には関係ないから、勝手に頑張ってくれといった感じだ。
無能な凡人どもに時間を使うほど、無駄な行為はないからな。
俺様も認めないし認めてほしくもないから、俺様に構うなというのが結論だ。
イキりマウントとか取りたいとも思わないし、凡人どもより天才たちに認められる努力をしたい。