他人に対して、喜怒哀楽の感情は消費しない

 明けまして俺。本年も俺。

 

 上記の正月ネタは10年前くらいに旧ブログで書いたものだが、あの頃は、

他人を笑わせたいとか良く思われたいとか、ブログを書いていてもそういう気持ちが強かった。

コメント欄を開放して書き込んでくれた人を接待していたのも、そういう気持ちの表れ。

 

 今では他人によく思われようとか認めてもらおうとかいう、承認欲求の感情は一切ない。

賢い人間なら当然気づく、何の価値もない他人に認めてもらったところで何になる?という、

当然の心理に気づくのは、そう難しくないはずだが、驚くことに気づかない人間が多すぎる。

 

 ツイッターやフェイスブック、インスタを見ると、しょうもない自慢やネタが溢れているが、

z世代のような社会経験が乏しい人たちなら仕方ないとして、大半がいい歳した、

おっさんおばさんが主流だったりするから、痛々しい事この上ないな。

 

 まあ、やってる奴らも、それを見ている奴らも、同レベルのしょうもない人間なのだろう。

その先に何か目的や野望がある人間であれば、その行為が無駄だとすぐに気づくが、

何の目的もなく生きている奴らは、それがたまらなく愉快なエンタメだと信じて疑っていない。

 

 他人に対してイキる行為も寒いが、しょうもない事で怒ったり恫喝している奴も救いようがない。

そうやって自分の序列を上にしようと必死なのだと思うが、争いは同レベル同士でしか起こらない。

金持ちは、数千・数万円レベルのいたずら、コソ泥に対して時間を使わないし怒ったりしない。

 

 俺様も、他人に対して怒ったりすることはめっきり減ったな。

誰かがミスしたりヘマしても、『いいよいいよ』と自分がフォローしたりする。

他人のフォローは優しく思われたいとかではなく、自分自身の能力アップに繋がるから苦ではない。

人生はRPGと一緒で、やればやるほど経験値が溜まりレベルアップする。

 

 そこで怒ったり注意したりすることも大事、と、管理職やリーダー気取りな奴らは言うが、

怒ったり注意したりして成長する奴なんてごく少数だし、

恨みを持たれたり反撃してくるリスクの方が大きい。

ゴミみたいな他人のために、俺様の栄光の人生に傷をつけられたらたまったものじゃない。

俺様の人生は、ゴミのそれとは価値が違う。

 

 まあ、他人を教育するのが好きな奴とか、他人を扱って成果物を得るような、

大きな団体の社長や芸能人等のエンターテイナーだけが、勝手にやっていればいいと思うよ。

そうでない人間は、無価値の他人に対して喜怒哀楽の感情を消費するのは非生産的だ。

 

 よく40代~くらいになって、『丸くなったな』とか言われている人がいるが、

歳を取って性格が丸くなった人も実際にいると思うが、上記の俺様のような、

中身はギラついたままだが、他人に対して無駄な感情を使わなくなっただけの人もいると思う。

 

 人間は学習する生き物だから、40くらいまで生きれば時間は有限だと気づくし、

必要な事、無駄な事の判別もできるようになるし、目標までの道筋が見えるくらいの経験も積める。

コスパが最も悪いのは他人に対して時間や感情を消費することだと、自ずと気づくはずだ。

 

 学習能力がない奴らが40くらいになっても、

他人に対してしょうもないことでマウントを取ったりイキったり、

リアルやネットを問わず、周りに怒鳴り散らしたりしてして自己満足している。

 

 挙句、ニュースになるような大事件を起こして、感情を制御できず人生を終える。

チンパンジーみたいな生き様だが、動物の方がよっぽど理性的な生き方をしているだろう。

動物もリスクある相手や行為には、さすがに感情を制御する。

 

 まあ、それができないからこそ人間が人間である所以、とか、エセ人類学者が言いそうだが、

大多数が、そのしょうもない性質から逃れられないと、諦めたり開き直ったりする中で、

自己努力で克服できた者が、しょうもない苦悩から解放されたり何らかの成功をしているのだろう。

 

 最後に、誤解する奴もいそうだから書いておくが、他人は取るに足らない存在だが、

それとイコールで、他人は傷つけてもいい迷惑をかけてもいい存在ではない。

他人の幸せは自分の幸せ以上に尊重しろ。

 

 矛盾しているように感じるかもしれないが、こういった制約の中で、

いかに他人を無視して、自分の為だけに時間を使うかが人生の面白いところなのだ。

上でも書いたが、所詮人生はRPG、ゲームなのだ。