他人の幸せを喜べるようになった

 自分とおよそ関わりのない人間はどうでもいいんだけど、自分と近しい人や、

友人、知人、知り合いの幸せを、素直に喜べるようになった。

 

 そんなの当り前じゃんって思うかもしれないが、心の底からそれを言える?

人間って嫉妬とかそういう、負の感情も付与されているからね。

なんで俺は苦労しているのに、あいつだけ幸せなんだっていう感情を、

自分は全くないと断言できる人間が、果たして何人いるだろうか?

 

 いないわけではないだろうけど、現代社会の情勢から分析して、

少数派であることは間違いないだろう。

兄弟の方が年収多いから嫉妬とか、性格最悪で外見だけ良い友人がモテモテで不公平だとか、

血の繋がりや友人関係があっても、他人の幸せを素直に喜べない事例はいくらでもある。

 

 俺様もかつて、こういった負の感情を抱えていた時期があったが、考え方を変えて解放された。

他人の幸せを心からとは言えないが、喜ばしいことだと素直に感じられるようになった。

これは単純に心がきれいになったとか、生まれ変わったとか、いい人になったというわけではない。

 

 他人が幸せになれば、それだけ俺様へのヘルプや、ちょっかいが減るからな。

他人って基本的に、そいつが幸せな内は害がないから。

うっとうしいのは、そいつが不幸になった時に、周りに助けを求めたり愚痴をまき散らす行為。

 

 人と人は助け合いながら生きるもんだとか、じじばばや、古臭い考えの持ち主は主張するが、

結局は、心も体も弱い奴が、強い奴に寄生しているだけ。

その強い奴を洗脳するワードが『助け合いながら生きる』で、そうしないと、

弱い奴らは生きられないし、現代社会は回らないという考えなのだろう。

 

 誤解のないように書くが、社会福祉とか、そういった社会的な助け合いの制度は必要。

そういったカテゴリーではなく、普段の人間関係の範疇の話だ。

 

 具体例を書くと、他人に金を無心してきたり、仕事のミスを他人にカバーさせようとしたり、

延々としょうもない愚痴を聞かされたりと、こちらの負担ばかり強いられる行為。

助け合いなんて言うけど、こういった行為は、まともな人間だけ一方的に受ける。

 

 こういった行為は、そいつが幸せであれば、こちらに波及されることはないから、

自分と関わる人間は、全員幸せであってくれと、素直に願えるようになった。

 

 極端な話、自分は不幸でも、周りは幸せであってほしい。

俺様は別に不幸でも折れないし助けも借りないし、幸せになるまでの過程と捉えられるから、

不幸を不幸とも思わないが、弱者のゴミどもは、すぐ周りに助けを求めるからな。

そのゴミどもの不幸をカバーする為に、自分が煩わされるのが一番の害悪。

 

 まあ中には、他人を助けるのが生きがいなんて奴もいるが、それはそれでいいと思うし、

その生き方を否定するつもりもないが、そいつら同士でやっていればいいだけの話。

俺様はその生き方はできないし自己解決能力があるから、意図的にその枠から外れて生きる。

 

 というわけで、俺以外の人類、皆、幸せになってほしい。

別に俺様に構ってくれなくていいし、お前ら同士でワイワイやってくれていていいからな。

俺様もお前らに煩わされずに済み、自分の為だけに時間を使えて、結果、俺様も幸せになれる。