相対評価の呪縛から抜けられない人

 ツイッターかなんかに掲載された、とある漫画の紹介記事を読んだ。

そこそこバズってるから紹介されたのだろうけど、

共感する人が多いとか書かれていたから読んでみたが、全く共感できなかった。

 

 実体験を基にした漫画のようだったが、就職活動→新卒で入社した主人公が、

頑張りすぎて自分を見失っていた頃に、読書に打ち込むようになり、

少しずつ『自分』を取り戻していくといった内容だった。

 

 なぜ、読書をすることによって『自分』を取り戻したのかというと、

本に登場する他人の人生を体感することにより、『自分』と客観的に比較することができ、

他人を知ることは『自分』を知ることだ!と結論づけていたが、ああ、なるほどなと思った。

 

 共感したから、なるほどなと思ったわけではなく、結局、他人と自分を比較しないと、

生きられないように、義務教育や学歴社会で作り上げられてきた相対評価の弊害が、

社会に出て噴出し、読書によって再び自己催眠状態に陥っただけの話だった。

それを、さもきれいごとのように、わざわざ漫画にして紹介してるのが非常に滑稽だった。

 

 そもそも、頑張りすぎて自分を見失うって、そうなった原因を考えないとな。

相対評価に慣れ過ぎてしまって、何をするにも他人と比較することから始まって、

『自分の努力は足りない』『自分はダメだ』と考えてしまう事が原因なのに、

溶けかかっていた呪縛を、再び読書によって自己催眠してしまうのが他人事ながら笑ってしまった。

 

 その漫画に共感している奴も多いみたいだが、一種の宗教だな。

義務教育や学歴社会での相対評価に慣れ過ぎてしまっているから、『他人を知る=他人と比較』が、

絶対的に正しい所作のように身についてしまって、その呪縛から抜け出せないでいる。

 

 まあ、その生き方で満足している奴らは、勝手にそれで生きていけばいいのだが、

不満があったり、うまくいかず、もがいている奴らは、まず、その原因と考え方を変えないとな。

俺様は教祖になるつもりはないが、少なくても自分を知るのに、他人を知り比較する必要はない。

 

 むしろ現代において、他人を知ることなんか弊害にしかならないと思う。

人種とかLGBTとか、これだけ多様性に溢れた時代に他人を研究したところでパンクするだけ。

同じ人間でも同じじゃない、自分が当たり前と考える事は他人にとって当たり前ではない、

これが理解できないと、いつまでも泥沼から抜け出せないだろうな。

 

 結論としては、読書は読書、あくまでエンタメとして楽しみましょう。

読書で自分が救われたとか、それって根の深い思い込みじゃありませんか?

根本の問題は何も解決していませんよ?と言いたいが、まあ他人の人生なんてどうでもいいか。