正直、このブログとはあまり関係ない話題だが、ネットの新サービスを思いついた。
メモ帳代わりになってしまうが、せっかくだから、ここに記述しておこう。
ネタをパクられるから、大事な部分は伏せる形になるが…。
まあ、既に似たようなことをしている人はいると思うけどね。
わざわざ探すことはしないけど、(別に真似したところで法に触れるものではない)
実際にサービスとして昇華するところまでやってる人は、ごくごく限られていると思う。
自分がネットで活動していて、死ぬまでに絶対にやらないなと思っていたことが2つある。
1つは写真を撮って、なんやかんや公開したり、自己顕示欲を満たす行為。
昨今、フェイスブックやインスタで写真を公開し、自分が満たされているアピールする奴は多いが、
被写体は色々あるが、写真を撮る→公開という行為を、自分は絶対にしないかなと思っていた。
もう1つは、ストレートにアダルト系。
色々とめんどくさいしリスクもあるし、単純に自分は興味のない分野。
この2つには絶対に手を出さないと思っていたが、思いついたアイディアは、この2つを満たす。
でも仕方ないよね、自動的に条件に当てはまってしまったのだから。
アダルト系やろう→何かアイディアを考える、というトップダウン的発想ではなくて、
アイディアを思いついた→偶然アダルト系、というボトムアップ的発想なのだから不純ではない。
ここで、アダルト系だから止めよう、で止めてしまうのはもったいないし、
自分が苦手・嫌いな分野にも挑戦することは、人生にとって大事な時もある。
写真と書いたが、大まかに書くと、目の錯覚系の写真。
この錯覚の一部に、卑猥な女体をイメージさせる錯覚があるんだよね…。
錯覚なのだからアダルトではないのでは?と思うかもしれないが、昨今は色々と厳しいし、
画だって点と線の集まりでアウトなのだから、この錯覚系もおそらくアウトだろう。
何が錯覚するのかはサービスの肝なので伏せるとして、公開はツイッターがいいと思う。
錯覚を共有するのはツイッターと相性がいいし、共感が共感を呼んでバズりやすい環境だ。
ただ、この錯覚に見える被写体だが、人によっては不快に見える場合もある。
カブトムシだって、俺はかっけぇーと思うけど、人によってはゴキブリと大差なく、
見たくないって人もいるから、ツイッターでやる場合は、薄いぼかしが必要だな。
で、ぼかしじゃない写真を見たいって人もいるから、そういった人の誘導先が必要だ。
複数の写真を公開・コミュニケーションできる場として、フェイスブックやインスタ等あるが、
おそらくそれらとは相性が悪い被写体だから却下。(個人的にあまり好きなサービスでもないし)
となると、やはりブログをベースにしたサイトがベストだな。
ぼかしなしの写真と錯覚の解説は、ブログの記事で紹介できる。
コミュニケーションはツイッターでもできるが、万人がツイッターをやっているわけではないので、
ブログでも色々とコメントできた方が盛り上がるだろう。
卑猥に見える錯覚系はページを分けて、
入場には『あなたは18歳以上ですか?』を付ける必要があるな。
まさかあれを、自分のサービスでやるかもしれないとは想像もしてなかった。
被写体は、特定の場所に行かないと撮れないものではないから都合がいい。
性能の良いカメラとかも必要なく、撮影素人の自分でもできるのがよい。
正直、かなりニッチな分野だと思うけど、競合が少ないのはメリットだし、
今の時代、一部のマニアを相手にした方が、話題になるし金にもなりやすい。
ツイッターだけでやっても金にならないから、ブログに誘導がキモだね。
最初は広告収入だけの運営だが、軌道に乗れば、色々と選択肢の幅も広がる。
アダルトページを会員制(有料)にするのもありだし、単純に、
写真をまとめてDVDで販売するのもありだな。
いや、正直、こんなものに金払う奴いるのか?とは思うのだが、
世の中、自分の常識だけでは推し量れない、信じられないものに金を払う奴がいるんだよね。
vtuberに何千万とつぎ込んでいる奴もいる時代だからね…。
失敗したっていいんだよ、別に元手がかかっているわけではないし。
俺様の時間だけは消費されるが、失敗したところで、次への経験となるから無駄ではない。
やらないで悶々とするよりは、やって諦めた方が清々しい。
こういったアイディアは、実際に思いついても、Web技術等がなかったり、
金を生み出すまでの道筋が見えなかったりで諦める奴が大半だが、俺様は条件を満たしている。
形にしないと、社会にとっても損失だろう。
…と、いうようなことを、風呂に入っている間に考えていた。
このブログが続いている間に着手できるかは不明だが、ぜひ実行したいものだ。
とりあえず、3カ月くらいアイディアを寝かして、それまでに情熱が冷めてなければ、
本当にやりたいってことだから、一旦、頭を冷やしてから再び考えたいものだ。