第02回・大分県への俺様の偏見

 どうせ第02回目は、かなり先だろうと思ったそこのお前!
こういうのは勢いが大事だから、サクサクっと次に行った方がいいんだよ。
何せ48も偏見を書かなくてはならないのだから、油断していると5年くらいかかりそう。

 なのでサクサクっと、場所も適当に今回は『大分県』に決定。

 企画の趣旨は、下記リンクを参照。
  ・序章・47都道府県への俺様の偏見

 第01回目が大変好評だったこの企画。
  ・第01回・北海道への俺様の偏見

 大分県・・・何の思い入れもねぇし、九州の中で1・2を争うくらい地味な県だな。
大分県といえば・・・、別府温泉くらいしか思い浮かばねぇ。
まあ酷い事書いても、どうせ大分県の人間で俺様のブログ見ている奴いないだろ?
そもそも、ネットの回線は開通してる?(笑)

 九州地味No.1といえば、俺の中では残念ながら大分県だな。
佐賀と争うが、佐賀ははなわの活躍により、ちょっと知名度が上がったのが救いだな。
宮崎もアレだが、どげんかせんとが知名度アップしてくれたから、やっぱ地味1は大分だな。

 時々、大分と熊本の場所が、どっちがどっちか分からなくなる。
どっちが右で、どっちが左だったっけ?ってなる。

 まあ熊本にも責任があるのだが、熊ちゃんは熊本城や阿蘇山で知名度が高いから、
やっぱ大分が、九州での地味覇者だな。

 大分県に関しては今の時代よりも、戦国時代の頃の方が詳しかったりする。
当時は大分ではなく豊後と呼ばれており、キリシタン大名の大友宗麟が支配してた地域だ。
大友ちゃんは優秀で、全盛期で九州の北半分くらいを支配していたわけだが、
まさにその頃が、大分(豊後)の絶頂期だったわけだ。

 結局、薩摩(鹿児島)の島津家に戦で大敗し、その後に秀吉の九州征伐で島津も破れ、
大友宗麟の息子がボンクラだった事もあり、なんやかんやで大友も大名としては滅亡した。

 まあ、薩摩(鹿児島)の島津家がなかったら、
大分は現代にもっと違った形で存在していたかもしれないし、(九州で一番栄えていたかも)
恨むなら、近くにある大都市・福岡ではなく、鹿児島を恨んだ方が道理にかなう。

 でも、その薩摩が存在していなかったら、幕末の大政奉還も実現しなかったわけで、
歴史のちょっとした流れで、その後の日本が大きく変わっていく事は確かだな。

 もう大分ネタが尽きたので、今回はここまでにしておこう。
とりあえず大分は、『熊本の右側が大分です!』、っていうところからアピールしていこう。

 さあ、次回はどの地域がチョイスされるか、貶されるのを楽しみに待っていろ。
意外に早く、この企画もポンポンッと終わるかもしれないな。


トラックバックURL:
http://blog.ore-sama.jp/prefecture/20110919235940/trackback/


 

コメントを書く