読売新聞のCM『僕の走れなかった道』を見て思う

 おそらくオリンピック期間限定のテレビCMだと思うが、
読売新聞の『僕の走れなかった道』というタイトルのCMが、現在ちょくちょく流れるのだが、
一応俺様も高校まではスポーツ少年だったから、このCMを見て色々と思うところがある。

 CMの内容を簡単に書くと、長距離ランナーを目指す主人公と友人が、
トラックを仲間と走りながら、徐々に、その仲間たちが付いて行けず脱落していく・・・。
競争に敗れた仲間たちが立ち止まり、主人公と友人が走りながら振り返ると、
その仲間たちはスーツをまとい、(脱落→サラリーマン)という描写で負け組を表現している。

 そして遂に、主人公も脱落し、友人が走りながら振り返ると、
主人公は足を怪我して脱落・・・という設定で、車椅子に乗りながら友人を見つめている。
主人公の思いは、その友人に引き継がれたという美しいストーリー展開だ。

 勝者は、負け組どもの思いを背負い、オリンピックで戦う・・・。

 でも実は、脱落してサラリーマン化した仲間や、怪我して敗北した主人公は、
一見、負け組のようにも見えるが、実は、こいつ等の方が勝ち組だったりするんだよな。
(正確には、負ける寸前でなんとか目が覚め、ギリギリ踏みとどまったグループ)

 俺も高校の時、部活でレギュラーが取れずに終わり、スポーツはきっぱり諦め、
これからは頭を使う仕事の時代だと思って、コンピュータの道を歩み始めたわけだ。
一方、レギュラー組の奴は、県内でも有数の選手の奴もいて、
スポーツに力を入れている大学や短大に進学していたが、その後の彼等はというと・・・。

 結局、いくら高校でレギュラークラスだったとはいえ、上には上がいるわけで、
オリンピック代表はおろか、それらの選手としのぎを削るライバルにさえなれず、
結局、スポーツの道は諦め、地元のしょうもない会社に就職していった。

 大事な学生時代、ろくに勉強もしてこなかった奴らだから、
いくら運動神経が優秀でも、会社勤めには何もプラスに働かず、
低賃金でこき使われている噂を耳にしたが、
これがスポーツに命をかけてきた奴らの成れの果て。

 俺やCMの脱落組のように、ギリギリ踏みとどまって道を変えた奴らの方が、
よっぽど稼ぎもいいだろうし、金銭的には裕福な暮らしができるのが現状だ。
金が人生の全てではないが、重要なファクターである事は万人が認める現実だろう。

 仮にオリンピックでメダルを取るくらいの活躍をしたところで、
引退後、例えばテレビのコメンテーターとして活躍したりで、
サラリーマン組よりも稼げる人間なんて、ごく一握りで、現実は甘くない。

 大学とかで監督の地位に付けるのもごく一部だし、公立とかの監督だと、
おそらく報酬も多くて月額30万くらいだろうし、一般サラリーマンの稼ぎにも及ばない。

 しかも、その月額30万も手取りではなく、そこから保険料や税金を引かれるのだから、
なんやかんやで、まともに使える金は25万を切るわけで、
いくら一時的にオリンピックの栄光に浸れるからといって、その後がこれじゃやりきれない。

 結果が伴わなければ首を切られるし、自営業は色々と実費負担も大変だ。
これが現実で、下手にスポーツにのめり込み、学生時代ろくに学も身に付けず、
引退後の収入が安定せず、フリーターのような人生をおくる羽目になる。
しかも、下手に顔が売れていると、バイトや一般企業への就職もプライドが邪魔をする。

 まあ、そんな現実を考えながら、あのCMを見ていると、
脱落サラリーマン達や怪我をした主人公を見て、『お前等の方が勝ち組だよ』と、
笑いながら語りかけている自分がいる。

 まあ、あの美しいストーリーモノのCMで、
こんな捻くれた視点でCMを見ている奴も、俺くらいなものだろう。

 だからといって、オリンピックやプロを目指す事を否定しているのではなく、
本人が満足して後悔さえしなければ、その後の人生がどうであれ、
たくましく生きているのだから、周りからとやかく言われる筋合いはないだろう。

 俺が言いたいのは、どっちが勝ちで、どっちが負けでもないということ。
オリンピックに出られる選手を、特別美しく彩ったところで、
それ以外の選手が決して醜い負け組なわけじゃないし、平等だという事が言いたいわけ。

 ま、せめてオリンピック期間中だけは、出場選手をヨイショヨイショしてやろうか。
でも、今回のオリンピックは、銀・銅メダルが量産されているけど、
3ヵ月後くらいには、誰が何を取ったとか世間は完全に忘れているだろうけどな。(笑)

2012年08月05日 23:59

1コメント | 人生論



トラックバックURL:
http://blog.ore-sama.jp/life/20120805235910/trackback/


 

この記事へのコメント

RSS

    中学・高校の部活動がかくも盛んなのは、なんといっても、そこに様々な「利権」があるからで、それで美味しい思い、そうでなくてもそれなりの利益があるからこそ、成り立っているわけで、その上で、その世界で成功してくれる人間がほんのひとにぎり、いやひとつまみでも出てくれれば、益々重畳というわけですから、そりゃ、甲子園の高校野球ならずとも、皆、大人が力を入れるというわけです。

    もちろん、スポーツそのものを否定するわけではありませんが、背後にはそういう大人の世界があるからこそ、子供たちに(地域によっては無理強いしてまで)部活動をすすめまくるのも無理からぬ事ではありましょう。

    スポーツではありませんが、ある地方都市の中学の吹奏楽部では、今時、中3の12月頃まで活動している域がありました(もちろん公立で、中高一貫校ではありません)。その地域の塾の大先生も、そのことには大いに呆れていたことは言うまでもありません。~これもやはり、様々な大人たちの利益があるからこそという気もします。

    スポーツが上流階級の楽しみで、オリンピックはその延長だったような時代のほうが、ある意味健全だったのかもしれません。ちょうどこの度のロンドン五輪で脚光を浴びている「炎のランナー」なる映画の時代がまさにそれです(この映画、私は高校時代からすでに数百回観ております。今では、DVDで英語の字幕設定にして、時々観ています)。

    やくも少年 2012年08月11日 11:58

     


 

コメントを書く