逃亡犯、指名手配犯は、環境が人を強くする典型

 スポーツの世界に『強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ』という格言がある。

 これは強い者・才能のある者だけが、結果を残せるのではないという事を指すわけだが、
日常生活でも同じで、才能だけが結果の主要因になり得ないのは、
あらゆる場面で証明されているし、特殊な状況下においても、それは同様の事が言える。

 最近のニュースで、逃亡犯や指名手配犯の逮捕が注目されているが、
彼等を見ていると、『強い者が勝つのではない』理論を、まざまざと感じさせられる。

 市橋、平田、菊池・・・指名手配犯が捕まると同時に、その逃亡生活も明らかになったが、
彼らは様々な手を尽くし、知恵を絞って、時には自分でハサミを入れて整形したりする。
それらの工作に対して、『それだけの才能があるなら、よい方向に活かせばいいのに』とか、
知った風に人物評価をしている人が多いが、その見解は残念ながら大きく間違っている。

 オウムの人間は良い大学出ている人が多かったり、市橋も決してバカではないだろうけど、
才能的には常識の枠内から出るものでもないし、一般人とたいした差はないだろう。
では何故、様々な手を使い、あそこまで逃げ延びる事ができたのか?
答えは簡単、才能ではなく環境が人を強くしているだけの話。

 絶対に捕まりたくない・・・という強い思いの元、国や周りの人間が全て敵に回り、
頼れる知人も、持ち合わせの金もない・・・でも逃げなければならない。
人間、そこまで苛酷な環境に陥れば、頭をフル回転させ知恵を絞り、
あらゆる労力を惜しまず努力し、時には常識外の奇抜な発想で難局も乗り切るだろう。

 どんなに平凡な人間でも、そんな苛酷な環境に置かれれば、嫌でも才能が研ぎ澄ませる。
強制的に進化を迫られるわけで、そのプレッシャーは日常生活の非ではない。
能力があったから逃げられたのではなく、
嫌が応でも才能をフル活用しなければ逃げられなかったのだ。

 この現象は何も、逃亡生活という特殊な環境のみに当てはまるわけではなく、
例えばスポーツ選手が、過酷なトレーニングを課して自らを追い込んだりするのと一緒で、
自らの覚悟さえあれば、どんな人だってそれなりの環境は用意できる。

 成功している人は、大なり小なり、このように自分を追い込む環境で自らを鍛えている。
逃亡犯に対して、『その才能を他の方面で活かせば・・・』とか言っている人は、
かわいそうな人で、努力の仕方も、人を見る目もまったく養われず育ってきているのだろう。

 現代社会は、このような『自らを追い込む環境』とは無縁の生活で育ってきた人が多く、
少し障害があれば、『国のせいだ、政府のせいだ』と全ての負の影響を他人のせいにし、
自らは何の障害もなく苦労もせず、平穏に生きる事が、
無条件で保障されているかのような錯覚をしている人が多い。

 これでは、どんどん人間という生物が腑抜けになるのは当然の事だ。
楽をして結果を得る、勝利を得る、危機感のない環境で成長することは絶対にない。

 市橋達も、『元々持っていた素養で逃げ延びられたんだろ?』とか言われたら、
とんでもないと言って怒ると思うよ。
それくらい血反吐を吐きどん底をさまよいながら、嫌が応でも進化してきたのだろう。

 自分自身が成長したいなら、自らを苛酷な環境に追い込まないとな。
温室のぬるま湯で、ぬる~く成長しようとしても、逆に退化するだけ。
どん底でもがいている奴と比較すれば、成長スピードで100倍くらいの差が出る。

 他人の評価を『才能』で片付けるのは非常に楽だし、自分への言い訳にもなるが、
そんなに『才能』が羨ましいなら、規模は小さくてもいいから、一度自分を追い込んで、
どれくらい成長するか試してみなさい。
絶対に何らかの成果があるから。

 恩恵は他人に与えられるもの、とか思っている人間に、才能の神様は微笑まない。
現代社会は、このような風潮が強く、何の苦痛もない生活が与えられて当然、
みたいな歪んだ考え方をした現代人が多いが、そもそも生きる事とは苦行なのだ。

 なお当たり前だが、わざわざ犯罪を犯して過酷な環境を用意するような事は愚の骨頂だ。
そんなことしなくても、自らにプレッシャーを与えられる環境構築のヒントは、
身近に転がっているし、これに関しては何の努力も必要なく用意できるようになっている。

 環境によって人は如何様にも強くなれるし、誰でも勝利を掴む権利が与えられているのだ。
強い者・才能があるものだけが勝てるような単純構造に、この世はできていない。

2012年06月09日 23:59

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